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陸援隊について



中岡の故郷である高知県北川村に建つ中岡慎太郎脱藩の像。
中岡慎太郎の故郷である高知県北川村の生家付近に建つ
中岡慎太郎脱藩の像。
中岡慎太郎

陸援隊(りくえんたい)とは、1867年(慶応3年)に、土佐藩士の中岡慎太郎によって組織された倒幕運動のための浪士隊のこと。

坂本龍馬の海援隊結成から3カ月後、海援隊に呼応した中岡慎太郎を隊長として、土佐藩の独立部隊として発足。拠点を京都に置き、倒幕運動を展開した。

陸援隊の隊士は尊皇攘夷の思想を持つ脱藩浪士などが主で、総員は70名以上にも及んでいる。

陸援隊は、倒幕の軍事クーデターの為に結成されたということもあり、薩摩藩から派遣された洋式軍学者・鈴木武五郎から洋式調練を受けるなど、いざという時は自在に動き敵を破るべく、より実戦向けの訓練を行っていた。中岡慎太郎の武力倒幕への決意を代替するものがまさに「陸援隊」であったといえる。

しかし、鳥羽・伏見の戦いが起こる前に隊長の中岡が坂本龍馬とともに京都・近江屋で暗殺されてしまったため、「陸援隊」としての大きな活動の成果を得ることは出来ていない。

中岡の死後は、土佐藩小監察・谷干城らが陸援隊を指導し、高野山挙兵においては田中顕助の指揮のもとに参戦、紀州藩兵を牽制している。

鳥羽伏見戦の後には「陸援隊」は「御親兵」として改編され、隊士たちはその後はそれぞれの意志で倒幕戦の一翼を担っていくととなる。

陸援隊規約

隊長一人。脱藩の者、陸上斡旋に志ある者、皆是の隊に入る。

国に付せず、暗に出京官に属す。

天下動静変化を観、諸藩の強弱を察し、内応外援、控制変化、

遊説間諜等の事を為す。

(福岡孝弟手録)


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